むなつきはっちょう

個人的徒然気ままブログ

時の彼方へ~the clay figurines of northen japan~


J-popのタイトル風で攻めてみましたよ


さて去年の春 開拓記念館で行われた「北の土偶展」を一人で見に行った
新札幌駅からおじさんおばさんに紛れてバスに乗ってそこへ向かっているあいだも
なんで見に行きたいのかがよくわからなくて
自分が興味を持っている事柄にアンテナをはっているのだから
次々に糸をたぐるように別の事象がやってくるのは当然のこととおもうけれども

縄文時代の人々は
道具や食べるもの動物や植物
さまざまなものに魂を見出していたらしく
道具にまで魂を見出すっていうのは
ちょっと今では大変っていうか
こんなにモノがあふれているのに
そもそも心をこめてつくられたものがどれだけあるかってゆーのに
魂なんて見えないけれど
スピリチュアルな話って
読んだり聞いたりはするけれど
あんまり信じてなくて
それはその話が自分にとってあまりにも現実感がないからなんだけど
じゃあどうしてそれを信じている人たちは
それを信じれるのかってゆーのは知りたいと思っていて
自分には感じられないものを感じ取ることが出来るからかもって思うしかなくて
(もちろん人々を騙してうんぬんとかよからぬことを企む人とか
精神的にもろくて何かに頼らざるを得ない人とかたくさんいるだろうけれど)
つきつめていけばそういうのって
大昔にはそういう今では感じられないものを
人々は普通に感じ取っていたんじゃないかって
ヨーロッパ的な科学とは別の知性の働かせ方
個人主義ではない自然公共の大益
万物に宿る生命
アニミズム的感覚
アイヌ文化的信仰
そして
縄文文化の精神世界
それを知りたかったのかも

 

最初展示会場に入ったとき、混み合ってるし、

どう面白さをみつけようかみつかるかしらと思ったんだけど
だんだんこの土偶に対面していることをストンと実感したような気持ちになって
現在とこの土偶が使われていた時代との膨大な時間を超えたというか
その間にある時間や世界を通り過ぎてここに来たというか
そんなふうにいうと大げさでキモいけど
っていうかぜんぜんうまく表現できないとうか
1年以上前だしその時の自分の記録もないし本当の気持ちは忘れちゃったよー!

あと昔はこういったものを見て
変だなってゆーかこープリミティブな感じというか
洗練されてないデザインというか色も茶色ばっかりだし
そんなふうに思ってつまらないなって思ってたんだけど
どっこい改めて見てみるとなんというフォルムの無駄のなさ
というか無駄でない無駄というか
メタファーのちりばめられよう
且つ文様の繊細さとでも言おうか

実際そこまでなにか色々な意味を込めて
芸術作品を作ったのならここまでシンプルにはならないだろうというか
今だったらちょっと露骨な表現過ぎてぜんぜん素敵じゃなくなるかもねタナトス
ということで純粋に形も楽しめました

 

この間の話と会場で思ったこと・縄文時代についての資料(下に載せたよ)
をふまえて考えてみると
高い精神性ってゆーのは
なにか神が見えるとか
目に見えないものが見えるとか
そういうのではなくて
それを感じ捉える知性というものなのか
例えば土器の話で考えると
そういった特別な模様を入れることによって
そこにある種の何か願いが込められ
自分たちの食を司る道具となる
それは自分たちと食べ物の世界(ちょっと神話っぽさ介入してきたでしょ!)

を仲介する道具であり
それを粗末に扱うと食べ物が無くなる?
つまりはある事象に対する理路の行く末を
見通す感覚?

 

 


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手元にある当時の北海道新聞記事2012.3.5「明日から北の土偶展」によると
縄文時代とはーーーーーーーーー

日本列島に1万年以上続いた、自然と共生して、争いのなかった時代です
地球は氷河期と温暖期を繰り返してきました
直近の氷河期は旧石器時代で、世界中どこでも人類は
転々と移動しながら暮らしていました

ところが1万5千年前、地球は温暖化し、
海水面の上昇や海流の変化がありました
大型動物が絶滅する一方、豊かな森や回遊する魚などで食料が確保できるようになり
人類の定住が始まりました
ここで人類は大きく2つの道に分かれたのです
1つは欧州や中東、中国などに生まれた農耕・牧畜に基づく道
もう1つが縄文を典型とする多様な自然を徹底的に利用する道です
前者は4代文明に代表されるように発展を遂げます

農耕・牧畜は蓄えることができ、技術や生産力が高まって集団が

どんどん大きくなっていきます
そしてついには戦争が起きます
武器も進歩しますから、大量虐殺も起き、負けた集団は滅びざるを得ない
だから急激に拡大するが長続きもしません
4代文明も続いたのはせいぜい3千年です
これに対して縄文時代は1万年以上続きました

これはすごいことで、欧米の研究者がなかなか信じてくれなかったほどです
注目すべきは、この間、変化がほとんど見られないこと
例えば釣り針は石や鹿の角で作られ、ほとんど同じです
『歴史は進歩する』という単純な考え方からすると、遅れた時代と考えがちですが
変化しなかったのには訳があるのではないか
道具を便利にすると、再生できないほど自然を破壊してしまい、生活を維持できない
だからあえて変えないという価値観というか、哲学があったのではないかと考えられます

それは人だけでなく、動物や道具にも魂が宿るという捉え方です
例えば貝塚や盛土遺構とう土器や石器を大量に積み重ねた遺跡は
以前は単なるゴミ捨て場と考えられていましたが
よく調べると、ヒスイの装飾品や石棒などのように大切なものが出てきたり
ヒトが埋葬されていたりします
祭祀が行われた形跡も見つかっています
縄文人の人たちは、食べた貝や日常の道具にも魂を見いだし
大切に葬ったのでしょう

我々現代の日本人にも共通する感覚ですね
明らかに縄文のDNAは日本人に受け継がれています
欧米の1神教、自然をコントロールしようとする生き方に対して
全てに神が宿る、自然と共に生きようとする日本人の考え方は縄文からつながるものでしょう
特別展では土偶の形を見るだけではなく、
日本人の心の源流を見て欲しいと思います

縄文という素晴らしい時代に思いを馳せてください
                          (函館市縄文文化交流センター 阿部千春館長)

 

北海道新聞記事2013.4.30「世界遺産目指す縄文遺跡群」より

縄文文化は、世界的にもまれな生物多様性に恵まれた生態系に適応・発展し
本格的な農耕と牧畜を選択せず、狩猟・採集・漁労を生業の基盤としながら
人類史の大きな画期である定住を達成した極めて特徴的な文化であり
豊かな有用資源を適切に維持・管理し・自然と共生する文化である

動物は獲りすぎないようにし、木の実がたくさんなるよう森の手入れも怠らなかった
自然と上手に付き合う方法を心得ていたとされる
考古学者の菊池徹夫氏は「定住=農耕とは異なる世界史の別のモデル」と

縄文文化の意義を強調する


縄文人は高い精神性を持っていた
例えば煮炊きや貯蔵に使われた縄文土器
実用性とは直結しない複雑で独特な文様が施されている
岡本太郎ら縄文土器の美に感動し、創作意欲をかき立てられた芸術家も多い
粘土で人の形を表現した土偶もそうだ
お守りやお祈り用に使われた、精霊を表現しているなど
その性格については議論があるが
縄文人の心が表現されているのはまちがいない

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いま現在形骸化しつつある習慣や祭りはもはや無駄にすら思えるものが多くて
でもそれは唯一自分たちの精神と目に見えないものとのつながりを保つための

仲介機能を果たすものだから
いよいよこれをやめてしまえばきっと本来持ち合わせていた

何らかのものを失うことになるのかしらね

 


けどいつもこういう話を聞いて
非現実的っていうか
結局はよくわからないってゆーところまで下がってきてしまう
私は幸せで時間があるからこんなことを
ふつふつと考えてはいるけれども
毎日を忙しく生きている人にとっては
重苦しくてしょうがないというか
なんだかスピリチュアルにかたよったふうにしか
感じられないんじゃないかなと思うし
やっぱりどこかあやしいから
そーゆー時間とか距離を超えた感覚って
具体じゃなくてイメージとしてもっていたらそれでまずはいいんじゃないかって
ギリギリのラインで気をつけなくちゃならないんじゃないかと思うし
なにものをも信仰したくはない